Kのこと

以前、自身のブログで

二人のKのうちのひとりについて語った。

(一番下に載せておくから

万が一興味があったら読んでください。)

 

もうひとりのKについては

ここで書いてみることにした。

 

 

 

Kはカフェの店主だった。

本当にひっそりと営んでいた

そのカフェの扉を

あの日、accidentallyに開いた

Natsuとわたし。

 

そこから始まった。

 

 

 

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Kは今までに友達になったことのない類の人だった。

 

彼のことをどう形容すればいいかはとても難しい。

 

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店は小さくて

なにやらごちゃごちゃしていて、

難しそうな本がたくさん置いてあって、

お香の香りがして、

とても不思議な空間だった。

 

お客さんはクセのある人が多いけど、

でも話してみると面白い人たちばかりだった。

そこに来る人は

彼の店にあるお酒に

店で流れる音楽に

そしてKという店主に魅了されていたと思う。

 

K自身は

とにかくつかみどころがなくて、

物静かで聞き上手な反面、

饒舌に話をすることもあった。

 

そしてとても優しかった。

 

 

 

Kは私たちの二人展にも足を運んでくれたし、

私が岡山を去る直前に開いた個展にも

ちゃんと来てくれた。

 

NatsuとKと3人で行った広島。

 

広島焼を食べて

途中Kの友達も合流して

(これがまた太陽のようなひとだった。)

昼間っから缶チューハイで乾杯して

原爆ドームを見て

仏舎利に行って

 

今思えば夢のようで、

本当に大切な思い出だ。

 

 

 

 

Kの店で

本がとても好きで、

自身で小説を書いてしまうくらいの、

(そして今は本を読むためのカフェを経営している)

bibliophileとも仲良くなった。

 

その彼とKと3人で犬島に行ったこともあった。

 

何より忘れられないのは

3人でスイカを分けっこしたこと。

 

そしてスイカの汁でベタベタになって

ティッシュを探していた私に

Kは本気か冗談かわからないけれど、

自分の服の袖を差し出したのだった。

 

Kはそんな感じの奴だった。

(どんな感じよ?笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

Kの店はNatsuとわたしにとって

「秘密基地」だった。

 

でもいつ開いているのかわからない。

 

行って開いていないこともあったし、

Kに電話をしたら出てきて開けてくれたこともあった。

 

 

でも、

だんだんKが店を開けることが

少なくなっていった。

 

 

そしてKはあるとき、

店を閉めることを決めてしまった。

 

 

 

 

 

 

やっぱりな、

という気もしたけれど

 

とにかく寂しかったし、

ショックだった。

 

秘密基地がなくなること以上に、

 

きっともうKに会えなくなるんだろうな

となんとなく悟ってしまったからだった。

 

 

 

 

 

 

もう8年が経つ。

Kはどうしているんだろう。

 

 

携帯のアドレス帳にあるKの名前と電話番号が

時々ふと目にとまる。

 

 

もうこの番号は使われていない

ということを知るのがこわくて、

8年間一度もかけられずにいる。

 

でもできれば

何らかのかたちで

元気かどうかだけでも知りたい。

 

あわよくば

いつかもしまた会うことができたら

Kのチャイのレシピを聞きたい。

 

わたしは本当に、

本当にKの煎れてくれるチャイが

大好きだったのだ。

 

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自身のブログより☟

Kのこと

突然だが、ジナンはKと名付けた。
そう、漢字1文字、ひらがな2文字の
まさしく「けい」だ。

主に漢字の意味と字画数を考えて
決めたわけなのだけれど、

彼をKと名付けたことにより、
最近二人のKをよく思い出すようになってしまった。

わたしが出会った最初のKくんは、
ジナンとは漢字は異なるものの、

「けい」という名前の男の子で、
高校時代の部活の後輩だった。

我がバド部は例年一学年女子6~10人程度で構成されていて、
わたしたちの代も10人だった。

男子はさらに少なく、
わたしが入部したとき、3年生は1人、2年生は3人、
わたしたちと同じ新入生の男子は0人だった。

それなのになぜか次の代は
女子が約25名、男子も7名ほどが入部し、

世の中のバドミントン界に何かが起こったのか!?
とびっくりしたほどだった。

そんなわけでわたしが部長に就任したときは大変だった。

後輩は男女ともに多いし、
男子の部長は必然的に一つ下の男子になってしまう。

バド部はじまって以来の大所帯(←勝手な予想)で
わたしは総部長のような状態になってしまったのだ。

そしてそのとき、男子の部長をつとめていたのが
「けい」くんだった。

「けい」くんは当時バド部男子に多かった
色白細身タイプの男の子で、

顔は「あずきちゃん」に出てくる「ゆうのすけくん」
のようだった。(このたとえ、わかる人いるんかな。。)

そんな「けい」くんは
わたしのことを「親びん」と呼んで慕ってくれて、
テスト前には当時普及したてだった
メールで夜中励ましあったりもしたものだった。

わたしは彼のことを「けい」くんと、
・・ではなく苗字+くん付けで呼んで
まるで弟ができたような気持ちで
いつも彼を応援していた。
我が家は兄二人という兄弟構成上、
弟とか妹というものにはいつも憧れがあったのだ。

卒業してからも数年は年賀状のやり取りだけが続いたものの、
いつの間にかそれもなくなり、
彼のことを思い出すことはほとんどなくなった。

だからジナンの名前を考えたときに
久しぶりに彼の顔が頭に浮かんだ。

どんな人になってるんだろう。
ちょっとみてみたい。

再会のシチュエーション、
理想はお互いの息子がバド部に入部し、

初試合の応援に行ったところ、
体育館の入り口でなんと・・・・

みたいな感じだ。
まあそんな奇跡はそうそう起こらない。

とにもかくにも「けい」くんは元気にしているだろうか。






もう一人のKの話はまた今度。

 

ZONO